「イニシエーション・ラブ」90点(100点満点中)
監督:堤幸彦 出演:松田翔太 前田敦子

不可能なはずのトリックを完璧に映像化

ミステリの映画化の際、よく「映像化は不可能」なんてコピーがつく。大抵はたわいもない煽りで、実際は大したことのないトリックだったりすることが多いのはいうまでもないが、乾くるみの「イニシエーション・ラブ」だけは別だ。

映画化が決まるずっと前に当サイトのコラム欄で絶賛したあの傑作のメイントリックは、どう考えても映像化は無理。書籍であることをふんだんに利用したアイデアなのだから当然だが、堤幸彦監督は本作で、とんでもない偉業を成し遂げた。文字通り、不可能を可能にしてしまったのである。

大学生の鈴木夕樹(松田翔太)は人数合わせに誘われたアウェー感たっぷりの合コンで、歯科助手のマユ(前田敦子)に一目ぼれする。小太りでオタク然とした風貌の夕樹だったが、その誠実な性格がよかったのか信じがたいことにマユの受けは決して悪くなかった。彼の人生はその日からばら色に輝くが、彼が真の恋愛の奥深さを知るのはさらに先になる……。

A面B面とカセットテープに見立てた場面転換をへて、私を含む原作既読者は仰天するはずだ。原作にきわめて忠実なはずの前半戦で、ちょっとした変更点が気になってはいたが、なるほど、この瞬間のためにあったのか。

この映画の面白いところは、未読者と既読者では、まったく違ったところでビックリするその仕掛けにある。

よもやこんなやり方で原作最大の難所を乗り越えるなんて想像もしなかった。というより、どうせ無理だろうと高をくくっていたので、私は本当にびっくりした。思わず声を出して、一緒に見に来た横の人に怪訝な顔をされた(未読者は同じあのシーンで少しも驚かないだろうから当然である)。

なにしろ一度読んですべてを知っているはずの既読者に、あれほどの大ショックを与えてしまうのだから、堤監督は本当にすごい。このアイデアを採用したというだけでも5つ星評価は確定である。

あの原作の映画化という最高難度を成功させたことで、今後「映像化不可能なトリック」系の仕事は、真っ先にこの監督のもとへオファーがいくことになるだろう。これを見たら、誰がプロデューサーだってそうする。

そんなわけでこの映画で一番驚くのはミステリ関係者と映画関連のプロデューサー、そして原作ファンということになるが、今すべてを知った目でみると、監督の心憎いミスリードのテクニックににやけ笑いが止まらない。

それはもう、ハラハラするほど大胆に大ヒントをちりばめるやりかたで、その都度ドタバタなギャグをキメるなどして目くらましとする。そのギャグがあまりにくだらない点も計算通り、なのだろう。

私はこれらの大胆伏線が未読者にバレてしまうのではないかと危惧し、それを判別するためあえて未読者を引き連れ一般上映の初日にこれをみたが、その人がいうにはまったく気づかなかったというからこれは成功といえるだろう。

それどころか、原作最大の衝撃であるラスト2行に該当する部分でも、すぐには真相がわからなかったそうだから、その後の超親切な種あかしシークエンスも適切だったというコトになる。個人的にはああいう野暮ったいやり方は好まないし、説明しすぎと思うが、これくらいやらないと今時の若者、とくにミステリに慣れていない人にはだめなのだろう。このあたりの空気読み能力が堤幸彦監督の強みである。

それでも個人的には、映画の冒頭にラストの秘密のことをわざわざほのめかす自信たっぷりな様子はいただけない。そういう事はいっさい言わずに、たわいもないトレンディドラマ風の胸きゅん恋愛ものだと思わせて最後にガツン! をやってほしいと思う。なぜなら、原作を読んだ多くの人はその経験に打ちのめされたから、だ。そしてそれが可能なほどのアイデアをこの映画は持っていた。

役者面では前田敦子の後半の演技はなかなかのものがあった。前半はもっと色々と隠してもいいと思ったが。

後半のヒロイン美弥子を演じる木村文乃も実にいい。あっちゃん公開処刑と表現したくなるほど、見た目もふるまいもいい女すぎて圧倒する。そしてこの役は、このくらいの女優でなければつとまらない。

みようによっては大変恐ろしい映画だが、それはこの映画の物語が多くの人に「あるある」と思わせるリアリティに満ちているからである。

もっとも私くらいになれば、ああいう靴をもらったり、オサレなお店に連れて行ってもらった途端に真相を見抜くし、逆にオンナってのはかわいいもんだなと思う心の余裕があるから問題ないが、うぶな男性には相当きついだろう。

──と、どれだけひねくれた人生を送ってきたんだと、我ながら頭が痛くなる。そんな傑作の誕生である。



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