「アメリカン・スナイパー」100点(100点満点中)
監督:クリント・イーストウッド 出演:ブラッドリー・クーパー シエナ・ミラー

神からの警告

アメリカでこの映画のことを好戦的とか、ヒロイズムを強調しすぎだとか、アメリカ万歳イズムだなどといって批判する人たちがいると聞いて、私は仰天した。いったいどこをどう解釈すれば、そんな真逆の受け取り方をするのだろう。

頑健な肉体と精神、たぐいまれな能力に恵まれたクリス(ブラッドリー・クーパー)は、強者に生まれた責任感と愛郷心から海軍に志願する。やがて特殊部隊ネイビー・シールズ最強の狙撃手となった彼は、イラク戦争の最前線で目覚ましい活躍を見せる。だが、同時にテロリストにとって高額の賞金首となるのだった。

オバマ大統領夫人まで巻き込んだ大議論となっている「アメリカン・スナイパー」をめぐる騒動だが、それも納得のすさまじい完成度である。私に言わせればこの映画は、神が巨匠の作品を借りてアメリカ人に伝えようとしているメッセージ、である。

偶然とは思えないタイミングで関係者が亡くなる事件がおこり、その結果、脚本を書きなおす結果となったわけだが、じっさい映画を見れば、それがパーフェクトとしか言えない、まさに神がかったエンディングであることを感じざるを得ない。

イスラム国とアメリカがいままさにドンパチやっているこのとき、ISの母体を作ったザルカウィと戦う米軍のスーパーヒーロー映画の製作中において、このような事件が起きる。偶然というにはなんと出来すぎたタイミングだろうか。この結末により本作は映画として完全体へと舞い上がり、イーストウッドの名は永遠となる。

その監督だが、クリス・カイルをあたかもヒーローとして描くようにしつつ、実際は真逆に描いた点が恐ろしいセンスといえる。

クリスは父親から「お前は羊たちを略奪者たる狼から守るシープドッグたれ」と教えられて生きてきた男で、かつそれを可能とする才能にも恵まれていた。彼はそれを自覚しており、だからこそ自分がアメリカを守る責任感に満ち溢れ、戦場で無敵の活躍を見せる。

この、現実離れしたスーパーヒーローこそ、まさに幻想のアメリカそのものである。アメリカという国が戦争政策を進めるため、建国以来繰り広げてきたプロパガンダの集大成と言ってもよい。

その名の通りこの「アメリカン・スナイパー」は、しかしこのあと無様に崩壊してゆく。そこが本作最大の見どころである。これをアメリカ万歳と評するとは、なんたる勘違いであろうか。

ここで簡潔にクリスという人物を分析する。大前提となるのは、クリスのよりどころが「自分には力がある」「自分は番犬である」「だからか弱き国民を、敵のオオカミから守らねばならない」「俺にはその責任がある」にあるという点だ。

そしてイーストウッドは、その"よりどころ"を完膚なきまでに打ち崩す。つまり、アメリカの価値観という名の神話そのものを、である。

具体的には、クリスが犬に殴り掛かるシーンに象徴されている。彼が殴ったのが狼でなく「番犬」だったことが、この映画に隠された最大のメタファーである。敵スナイパーの自室にチラっと映る「その他の人物」も同じことを強調している。

自分が迷いなく殺していた相手は本当に「狼」だったのか? RPGをかつぎあげることのできない、このスコープの中の少年が「狼」なのか? クリスは、いやアメリカは今まで、何を殺し続けてきたのか? 俺が戦っていたのは狼ではなく、もしかしたら……。

保守派と言われてきたイーストウッドが全アメリカ人に叩き付ける、強烈なメッセージ。それを信じがたいタイミングで補完するあの「予定になかった」ラストシーン。

これを完璧と言わずに何を言うだろうか。

「アメリカン・スナイパー」は、なんとも恐ろしい、そしてすごい映画だ。84歳にしてこれほどの傑作を出してくるクリント・イーストウッドという監督もまたしかり、だ。

そしてさらに恐ろしいのは、このまま無関心でいれば、日本人もこの蟻地獄にまきこまれる可能性があるということである。なにしろその危険性を理解しているとは到底思えない人間がリーダーなのだから。

そんなわけで「アメリカン・スナイパー」はまごうかたなき傑作だが、あまりにも不都合な真実であり、アカデミー作品賞をとることもきっとないだろう。逆に言えばこれが選ばれるならばアメリカにも、世界にもまだ希望は残っているということになる。



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