「猿の惑星:新世紀(ライジング)」80点(100点満点中)
監督:マット・リーヴス 出演:アンディ・サーキス ジェイソン・クラーク

戦争の発生原理を描く

アメリカはシリア領内のイスラム国を空爆、ローマ法王は現状を第三次世界大戦だと懸念、マレーシア機は落とされ、尖閣諸島には中国の不審船がうろついている。いまや世界中が戦争の当事者となる時代に突入している。そんな中、公開される「猿の惑星:新世紀(ライジング)」は、その公開タイミングも含め、映画の神様の祝福を受けたと思わせる抜群の出来映えである。

前作のラストから10年、ウィルスによって人間はほぼ死滅し、猿たちは驚異的な進化を遂げていた。わずかに残った仲間たちとサンフランシスコで暮らす人間たちは、山で猿のリーダーであるシーザー(アンディ・サーキス)と出会う。一触即発の中、人間たちがシーザーに求めたものとは……。

旧・猿の惑星はなんといってもショッキングな落ちと、時間を行き来するストーリーの輪が完全に閉じた終幕により、シリーズものとしては高評価を得ている。

完結しているため新シリーズは困難と思われたが、ティム・バートン版の屍を越え、2011年からはじまった今回の新シリーズは見事な出来映えである。

特にこの2作目は、絶滅寸前の人類が猿たちのなわばりで予期せず彼らと遭遇してしまう冒頭から、この上なく重苦しいムード。彩度を抑えた重厚な映像はシリーズ最高の現実味をもたらし、こいつはレベルが違う映画だなと、始まった瞬間から観客にわかる。

生存のため発電施設を使いたい主人公らに対し、猿山大将のシーザーは理性ある対応をする。なにしろこのリーダーは猿たちの進化の基点であり圧倒的カリスマだから、彼の方針とあれば二つの種族の休戦、共存もできるというわけだ。

ところが、このあと二つの種族の物語はあまりに悲しい、目を覆わんばかりの対立へと転がってゆく。人間の主人公も猿のシーザーも、好戦的どころかきわめて温和で、理性ある男たちだというのになぜこんなことになってしまうのか。

この点を、おそろしいまでの説得力で描くのがこの2作目のテーマ。すなわち、「戦争の発生原理」というものをメタファーとして、2014年の全人類に問題提起しているのである。この時代性、そしてまっとうな主張に私は大いに感銘を受けた。

戦争発生のための要素としてここで描かれるのは、まず武力、次に相手への理解不足、そして恐怖の感情というもの。そのバランスが崩れたときに戦争は起こると、そんなことを教えてくれる。人間と猿だから、きわめて象徴的に単純化しているものの、これは一つの真理を言い当てているだろう。たとえば現代日本と中国の関係に置き換えてみれば、まさに当てはまる。

人間、猿、双方の主要キャラクターはそうした「要素」を象徴する記号としての役割も担っているから、意識して鑑賞するとわかりやすい。

全体に漂う絶望的な雰囲気、そして一触即発な緊張感。これほど見ていて緊張を強いられる猿の惑星は初めてだ。

残酷シーンは意外にもないから、小学3年生くらいからいけると思う。これは一見動物と人間の物語だが、人間同士の戦争のことに例えているんだよと伝えてみてはどうだろう。そうしてラストのシーザーの台詞の重さを、親子でかみしめたいところである。

それにしても、理解不足が先なのか、それとも憎しみと恐怖があるから相互理解を拒否しているのか。

武力の存在についてはどうにもならない。なくすことはできないのだから残りの二つがそろわないよう、お互いに努力しなくてはならない。その意味で、アメリカ人はイスラム国の人と、日本人は中国人と並んで鑑賞したい傑作といえる。



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